三重大学伊賀研究拠点      

2016年3月20日

遊木町(丹羽平)に狼煙台を訪ねて

加藤 進 社会連携特任教授
 案内人 濱田ガイドボランティア
豊地小学校教諭 草分 京子

 1月に四国高松に江戸末期の狼煙台を訪問しました。今回は三重県熊野市遊木にある江戸時代の狼煙台(320日)です

。実はまだ報告しておりませんが、尾鷲の木名峠にも同様の狼煙台があります。いずれも全国的に珍しい三連立てです(狼

煙台が3基あるという意味です)。江戸時代の本県の狼煙台については、家崎 彰氏が「紀北の狼煙場−現状と資料−」、

ならびに(故)伊藤 良氏が「藩政期の海防施設狼煙場」と題して三重の固文化に卓越した報告を見ることができます。興

味のある読者は是非読んでいただきたいものであります。この遊木の狼煙台の保存状態は極めて良好であります。しかしな

がら、ガイドをしていただいた濱田氏によれば、「木々の伐採時に重要な遺跡とは思
わず木々を切った」ので、石積みの上

にも木が倒れ、ドーム型(饅頭型とも呼ばれている)のてっぺんは3基の中で2基は凹んでいるとのことでした。全体の写

真を見ていただこう。一番手前の狼煙台はおおむね原型を残しているものと思われる。

今回の発見は、一番奥の狼煙台の近く(約2m以内)に、ドーナツ様の崩れた形をした“火床”の確認である。実は、木名峠

でも狼煙台から少し離れた草むらの中に妙な形状の石積みを見つけて不思議に思っていたがどうやら狼煙用の火を常時確保

しておく炉のようなものの跡ということであった。もちろん、遊木では写真の手前の狼煙台から少し離れたところに、入口

のある(要するにドーナツ型の一か所が切れている)h=30cm程度の石積みを確認した。恐らくは、史書にある“杉、ひのき

、蓬”等を保管しておく納屋のようなものの跡と思われる。石積みは屋根様のものを支えるために必要ないわば柱のような

物と考えられる。ふもとから登ると、ゆっくりで40min程度、江戸時代にはこんなところに住んで、海を常時見張っていた

わけです。ところで、これら3基の狼煙台の間隔は4.5mであり、石積みの直径は3m前後、高さは約1.2mである。これに対し

て木名峠の場合、第2基の直径が第1基と第3基に比べるとやや小さいが、遊木の場合は全て等しかった。
 

問題の紀州の遠見台跡と狼煙場を地図に落とすと図のとおりである(なお、地切山と九鬼崎は推定)。おおむね直線状に並

ぶ。九鬼〜木名は見通せるが、木名から遊木は途中に痔切山があって邪魔をしている。カシミール3Dで見てみると図のとお

りである。恐らくは、船や馬等を使った別の副ルートが存在したものと思われる。遊木〜木名峠は約11kmの距離があり、通

信にはぎりぎりの範囲である。

 おまけに3連立てで情報を伝えるにはやや無理があると思える。3基の狼煙台の間隔があまりにも狭すぎる。高松(四国

)の場合は、2基目の狼煙台は確認されていないが、幕府に提出した書類には4050m離れて設置されているようになって

いる。また、上代の狼煙台(たとえば飛山城跡(宇都宮市))でも大宝律令にあるように4050mの間隔が保たれている。

 

 見通し 九鬼崎〜木名峠(見える)

 

 見通し 木名峠〜遊木狼煙台(見えない)

 
最後になったが、遊木の見晴らし台から、熊野灘の眺望を写真に示した。調査日は快晴に恵まれてはなはだ見晴らしが良

かった。なお、以前「熊野を楽しむ達人の会」事務局のご厚意で学会発表に遊木狼煙台の写真を掲載させていただきました

。貴重な写真ですので再度お礼も兼ねて掲載させていただきます(なかなか全景を撮るのは難しい)。
 
熊野を楽しむ達人の会 ご提供の写真
 
3/20 の熊野灘の写真
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