三重大学伊賀研究拠点      

2016年5月11日

山室城跡を訪ねて

加藤 進 社会連携特任教授

 以前から調査したかった山室城跡を攻めました。なかなか位置がはっきりしませんでしたが、地元の郷土史研究家の

松本薫氏に案内地図をいただき、やっと調査ができました。今回は山室城最後を示すと言われている妙楽寺の“血天井

”も取材しましたので合わせて報告します。
 

 
カシミール3Dでこれまでの報告してきた城跡の相対位置を

確認しておきます。こうしてみると髭山からの情報が黒米

山を通して堀坂山→阿坂城跡と堀坂山→大河内城跡の流れ

を見ることができます。ただし大河内から山室は真ん中の

山が邪魔をして見えず、迂回路か堀坂山~山室の直接ルー

トも考えられます。こうしてみると堀坂山はかなり重要な

位置をしめていることがわかります。近いうちの霧山城(

北畠の本城)を調査する予定で、その地点を落とすと狼煙

networkが明らかになります
地図に城館の正確な位置を

プロットしていくと、見えなかったものが見えてくるようで

す。

 山室城跡も小規模な、単郭構造かと思われます。民家の玄関口から、急峻な登りです(個人所有の山です。必ず声を

かけましょう!)。ジグザグしたのぼりをへて15min位で頂上に着きます。H86mです。はっきりした虎口はありませ

ん。曲輪のヘリには石碑が立っているのみです。私の2回目のスケッチをごらんください。南に堀切があり、尾根沿い

3m程度の広さが続いています。この先は工業団地で遮られます。

 


曲輪にはやはり、数個のくぼ地があります。あるいは極めて薄い土塁囲いと言うべきでしょうか?残念ながら私の目で

は判断はできません。それほど曲輪も13m×15mでそれほど広くありません。ここにどんな砦があったのかなかなか想

像できないです。

 
 

この写真は、登り口からみた曲輪の全景です。だいたい円形をしています。矢印の先に堀切がはっきり残っています。

 

写真 曲輪下の堀切の底

 

北畠軍と織田軍の激戦です。結局、山室城は落ちてしまいます。伝説によると、山室城の「最後の惨劇を物語る廊下=

血のりの附いた足跡」を天井に張った「血天井」が、近くの妙楽寺に残っています。私が、子供のころは遠足のお決ま

りのコースでしたが、名刹も今は無住です。天井は暗くてはっきりわかりませんが、何やら足型のような模様が見えま

す。昔はもっとはっきりしていたように思えます。

 なお、ある寺の住職によると、「大河内城からあがった狼煙は山室城から見えたのではないか?」という話でしたが

、計算してみるとこれは無理なようです。

 ちょっと余談になりますが、妙楽寺の近くに国学者、本居宣長の奥墓(おくつき)があります。彼の辞世の句が石碑

に刻まれています。

 次回は、伊賀に戻り、柏原(瀧野)城跡を報告する予定です。ご期待ください。


妙楽時の血天井
 
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