三重大学伊賀研究拠点      

2016年7月7日

松阪山城を巡る会(#2例会)

加藤 進  社会連携特任教授 
松本 薫 山城を巡る会長

  


図1  全工程のトラック

77日(木)は第二回現地見学会です。梅雨の中休みで晴天に恵まれて、松田副会長、吉田本居記念館長他17名の

参加です。今日のコースは

  ①信長の腰掛石

  ②白山城跡(城山城跡?一部破壊)

  ③岡ノ谷城跡

  ④西野城跡(破壊)

です。①は数年前に桂瀬の住民協議会の手によって整備されて茶臼山ウオーキングコースです。実際にトレッキングし

たルート全体の位置を図1に示しました。このコースには、輓場や大河内城跡が直視できる地点などがあります。標高

90m程度です。よく整備された道を登りきると腰掛石です。昔はもう少し高い位置にあったようですが、古墳の性か

盗掘されて沈んだようです。しかし石の下には
何も古墳を思わせるものはありません。 
 
  この下にはクリーンセンターがあります。松阪の松尾~大河内には多くの小規模な古墳があります。この古墳の上に

陣を構えたのかもしれません。さて、ここから降りて、白山城跡に移動です。この白山城跡は開発により主郭は破壊さ

れており(白山城跡発掘調査報告書:市教育委員会編H12.3月)ます。山本裕之(中世城郭研究、1999)から引用した縄

張りを図2に示した。
 

図2
 

写真2  大堀切(c)
残念ながらa以降は破壊されている。この城の見どこ

ろは入口にある堀切d、頂上に近くの大堀切(c)と

a
の堀切ならびに竪堀bである。cとdの間には加藤

の私見であるが“薄い堀切”が認められる。写真2

は堀切cの底部である。長年の間に相当埋まってい

る。この堀切を曲輪に沿って回り込んでいくとaに達

する。aの先には竪堀が明瞭に確認できる。竪堀bの

写真を写真3に示した。
 

写真3 竪堀bの全景(下に落ちる)


この白山城跡のすぐ下は畑になっている。この畑の中に面白い物を発見した。地元の人は「アブドラさん」(写真4)

といっている原始信仰石が祭られている。

 

写真4 アブドラさん(奥の岩が女神) 


次に、岡ノ谷城跡に移動した。この城は坂内城跡と極めて類似した構造で単核の曲輪を持っている。観音寺(今は無住

)の墓場から登る。入り口には地元で「浅間さん」と呼ばれる石仏が祭られている。痩せ尾根に沿って登ると5minくら

いで頂上に出る。やはり、山本氏の論文から引用した縄張り図3を示す

 
 
図3 岡ノ谷城跡の縄張り図


この城跡の見どころは二重の堀切a,b並びに竪堀のedである。ghfはなかなか確認が難しい。また、伊藤徳也氏は曲

輪の起伏も縄張り図に組み入れており、詳しく見ると起伏を認めることができる。写真5は堀切eの底である。やはり

、長い年月の間に徐々に埋まっている。これから左に回り込むと見どころの堀切aが待ち受けている。これを皿に進む

と竪堀dを確認することができる。

 
 
写真5 堀切e 
 
 写真6 竪堀d   

写真7 堀切bの底から上を見上げる
 

いずれにしてもこの城跡はかなり小規模で、坂内城跡や枳城跡(未報告)に類似した構造になっている。近くに水の手

も無く、兵隊が常駐するというよりは有事に籠城したりして見張り台的な意味合いが強いのではないかと思われる。坂

内川方向をにらむという意味では存在価値があり、大河内城の出城的な意味合いが強いと思われる。


 写真8 西野城跡(破壊)

最後は西野城跡です。残念ながら建設と開墾による田化によって昔の形はとどめていません。しかし、松本会長に寄れ

ば“天然の堀が右の宝浄寺川です。左は普通の田よりもやや高位にあり、城の曲輪がしのばれる”ということです。家

7:30に出発し、帰ったのは11:30でした。参加された会員の皆さんご苦労様でした。次回は811日大河内公民館で

9:00
から例会と伊藤徳也氏による講演会です。参加御希望の方は私までご連絡ください。


 
その他の記事についてもご覧ください<トップはこちらから