三重大学伊賀研究拠点      

2016年12月15日

岩内城跡を攻める(松阪山城の会例会)

加藤 進 社会連携特任教授

 1215日(木)は待ちに待った岩内(ようち)城跡

に向かいました。一行は24名でこれまでの最大の参加

者です。730に図書館に集合、745から古墳も含

めた探索です。岩内城跡は『勢陽五鈴遺響』によれば

「国司北畠家の別岩内主膳正光住セリ。時俗岩内御所

ト称ス。。。。」とあるものの今では地元の人々にも

あまり知られていない城跡である。
 



図1
 

三重の中世城館補遺には、図1の縄張り図があり、土塁、堀切等の施設は認められないとされている(以上松阪市史

6巻)。標高は320mとされている。松本会長はこの地点を3回(内1回は西出会員と)探索し、やはり遺構は無いとし

ている。GPSを使った今回のトラックルートを図2に示した。


図2 今回のトラックルート

日川(平家の落ち武者集落)にいたる道からも岩内城跡は登頂が可能のようですが、台風で橋が落ちているようです。

その道を通るとA地点の近くまで昔は行けたようです。我々の取った道は1本道で、倒木をよけて通れば、簡単にA地点

に着きます。特にAまでの行程は、切通しの連続で、山城のだいご味を味わえます。


図3 小林孚の著者から引用(岩内城跡の縄張り)
  

谷川に沿ってさかのぼるとA地点(写真1)に至る。ここはかなりの平地で北東に登ると320m地点に至る。面白いこと

に、積極評価するとここに薄い土塁を発見(写真2)できる。この土塁に沿ってさらに登ると2つの尾根の鞍部(B)にで

る。人工的というよりは自然地形を利用した堀切のように見える(写真3)。この平らも相当の広さがある。尾根筋を

西に進むと観音岳に至る。東側に斜面を進むと、2条の堀切があり、U形の腰曲輪に支えられた主郭にたどり着く。形状

は単郭で、坂内、小原、枳城跡の系統を踏襲している。“松阪山城の会”会員の会費で前回から名板を作り、持ち主の

許可を得て、これを主郭に付けることになった。写真4はこれを取り付けた松本会長の笑顔である。

 図3は北畠研究家の小林孚氏(故人)の岩内城跡のスケッチです。少し細かいので、加藤が注をいれました。我々は、

1でみると「道らしいもの」の部分から主郭を目指したわけです。主郭の回りを取り巻くように腰曲輪が存在していま

す。この状態は今回の写真と良く対応しています。そして観音岳の方角、横滝神社への方角、鏡池への方角も対応して

います。

 なお、山城との関係は不明ですが、このあたりには瑞巌寺古墳群があります。大小15基以上ありそうです。そのうち

で、1号(最大)、2号ならびに6号も訪問しました。特に1号古墳は鏡池の奥の山すそを利用した古墳で、盗掘の結果、

石室が見えます。中に入ってみるとかなり広く、大人が3人は入れます。松阪はかつて東南海地震を受けていますが、全

く完全な形の石室(写真7)が残っています。また、その近くには自然石で組んだアーチで作ったトンネル(写真8)

があり、歴史的な価値が高い遺跡もあります。

 
写真1 問題の分かれ道A地点(右:320m地点、左を取る)
 
写真2 右上に薄い土塁が評価できる?
 
写真3 浅いが掘りきりのように見える
(B地点を登ったすぐに)

写真4 主郭で名板を着ける 
 
写真5 主郭をU字型にまく腰曲輪
 
写真6 1号古墳の入り口
 
写真7 石室内部
  
写真8 自然石で組んだアーチ
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